いよいよ深む、父の言葉。
自分のいのち、課せられた使命について考えを深めている今日この頃です。
祖父 渡邉元了は、幼い時に父親を亡くし、檀家の皆様から寄せられた学資金のおかげで勉学に勤しみ、
僧侶になり、教師になり、若き住職として寺院を守りながら、教壇に立ち、児童を指導し、地域の教育に心血を注いだ人でした。
その後、寿光園 として幼児施設を開設し、楽生保育園、寿光幼稚園の礎を築いた、本当に偉大な人物です。
父 渡邉元和は厳格な祖父とともに両園を支え、持ち前の元気、明るさで地域の人々に愛されました。
嗜んでいたドラムで刻んだエイトビートは、今いる子供たちが運動会などで披露している鼓隊のリズムにいつでも重なります。
5歳の時に父と一緒に唱えたお経の声が、
まだまだ私の胸を震わせて、
膝を叩いて優しく伝えてくれたリズムは、
まだまだ私の声を導きます。
私を一度も叱ることなく自分でいのちを絶った父には、もうすぐ孫ができます。
初めて子を授かった私は、
子を授かった喜びと、父に近づけるような愛慕と、
そのほかにもあまりきれいとは言えないような想いと、
混じりっけばかりのもので包まれています。
なかなかどうしてうまく言葉にできず、自分の拙さを憂うばかりです。
父が亡くなって10年間、
父が乗った車に乗り、
バイクにまたがり、
父が読んだ本、
父が過ごした地域に身を置き、
父の陽炎を追いかけてきましたが、逆でした。
向こうにいると思っていた父は、合わせた両手のこちら側でした。
こんな私のこちら側に産まれてきてくれるのは、
「私の」子ではなく「ほとけの」子。
そう感動できるだろう私にしてくれたのは、父が私たち家族に残してくれた、
「おかげさまのおかげ」
という一言。
あなたのいのちが、わたしの人生にまだまだ深みをくださいます。
お父さん、
ありがとう。