2012年 11月 30日
ほとけさまからの預かりもの 父のいのちも 新しいいのちも
予定日から6日遅れの11月20日未明、私たち夫婦の元に、ほとけのこどもが誕生しました。
無量のいのちの世界から預る無上の宝物。
妻のお腹の中ですくすくと育ち、狭い道をなんとか通って、無事にうまれてくれましたのは、2902グラムのかわいい女の子でした。
陣痛がやってきたのは、予定日(14日)の5日後。
その日は妻のお母様の御命日。
無量のいのちの世界で抱っこをし続けてくれたお母様が満足し、きっとこちらにおゆずりくださったのであろう、と想いを馳せます。
そして待合室で聞いた誕生の産声。
少々難しいお産でしたので立ち会う余裕もなかったらしいのですが、立ち会いが叶わなかった残念は、対面した瞬間にどこかへ消えました。
誕生の興奮と安堵、余韻漂う空が白んできた頃、そのまま病院の椅子で目覚めた私は寺に戻り、母と2人で本堂の仏様の前で奉告のおつとめをし、歴代住職廟所へお参りをしました。
改めてこれから世話になる母にもお辞儀をし、報告をしました。
誕生の喜びと一緒に去来したのは、
生死流転、諸行無常の理。
わたしたちの暮らしの中には、あってほしくはない苦しみがあります。
父が自分の身を以て私に最後の子育てをしてくれた、「いずれ暮らしの果てに散る」という教え。
誕生はもちろん華やかで喜ばれるべきですが、父の死が無ければ、もしかしたら私は誕生をただの 祭り事 にしたかもしれません。
いずれ、いずれかの形で別れを迎えるいのちのつながり。
目を背けても、耳をふさいでも、僕らの先祖はそれを今でも無言の慈しみでそれを教えてくれます。
高鳴る鼓動が、それをいのちの事実と告げています。
娘が大きくなってその悲しみにいつか気づいたとき、「悲しいけど、それでもうまれてよかった」と思ってもらえるように、仏の教えを軸に据えて慈育に励みます。
これが私の、父と、父の孫としてうまれてきてくれた、娘に対する誠意です。
私の父は、私の父である前に、やはりほとけのこどもでした。
つまり私の父は、「私の父」としていのちを終えたのではなく、「仏の子」として終えたのでした。
われらはほとけのこどもなり
うれしいときも かなしいときも
みおやのそでに すがりなん
いつのまにか私は、父を所有物にしていたことに気づきました。
父のいのちは、もともとほとけ様のもの。
誰のいのちも、もともとほとけ様からいただいたもの。
だから父は、祖父が亡くなった時、涙のひとつも見せなかったのだろうと思います。
今は無き、父のいのちと今ここに有る娘のいのちが輝き合い、
お念仏となって共に私のいのちに響きます。

弥也子(みやこ)という名を仏様からいただきました。
親鸞聖人の遺された「教行信証」という書物の中に、
正信念仏偈 というおつとめの文章があり、
そこからいただいた 「あるヒント」 が名前の由来です。
念仏を唱えるのと同じくらい この名前を呼ぶ生活が始まります。
このブログをご覧に読んでくださっている皆様、
お寺、幼稚園、保育園などの御縁を大事にしてくださっておられる皆様、
何かとご迷惑ばかりおかけして大変申し訳ございませんが、
家族ともども今後とも精進させていただきますので、
なにとぞよろしくお願い申し上げます。


なんだかんだ申し上げて、かわいくってメロメロであります。
無量のいのちの世界から預る無上の宝物。
妻のお腹の中ですくすくと育ち、狭い道をなんとか通って、無事にうまれてくれましたのは、2902グラムのかわいい女の子でした。
陣痛がやってきたのは、予定日(14日)の5日後。
その日は妻のお母様の御命日。
無量のいのちの世界で抱っこをし続けてくれたお母様が満足し、きっとこちらにおゆずりくださったのであろう、と想いを馳せます。
そして待合室で聞いた誕生の産声。
少々難しいお産でしたので立ち会う余裕もなかったらしいのですが、立ち会いが叶わなかった残念は、対面した瞬間にどこかへ消えました。
誕生の興奮と安堵、余韻漂う空が白んできた頃、そのまま病院の椅子で目覚めた私は寺に戻り、母と2人で本堂の仏様の前で奉告のおつとめをし、歴代住職廟所へお参りをしました。
改めてこれから世話になる母にもお辞儀をし、報告をしました。
誕生の喜びと一緒に去来したのは、
生死流転、諸行無常の理。
わたしたちの暮らしの中には、あってほしくはない苦しみがあります。
父が自分の身を以て私に最後の子育てをしてくれた、「いずれ暮らしの果てに散る」という教え。
誕生はもちろん華やかで喜ばれるべきですが、父の死が無ければ、もしかしたら私は誕生をただの 祭り事 にしたかもしれません。
いずれ、いずれかの形で別れを迎えるいのちのつながり。
目を背けても、耳をふさいでも、僕らの先祖はそれを今でも無言の慈しみでそれを教えてくれます。
高鳴る鼓動が、それをいのちの事実と告げています。
娘が大きくなってその悲しみにいつか気づいたとき、「悲しいけど、それでもうまれてよかった」と思ってもらえるように、仏の教えを軸に据えて慈育に励みます。
これが私の、父と、父の孫としてうまれてきてくれた、娘に対する誠意です。
私の父は、私の父である前に、やはりほとけのこどもでした。
つまり私の父は、「私の父」としていのちを終えたのではなく、「仏の子」として終えたのでした。
われらはほとけのこどもなり
うれしいときも かなしいときも
みおやのそでに すがりなん
いつのまにか私は、父を所有物にしていたことに気づきました。
父のいのちは、もともとほとけ様のもの。
誰のいのちも、もともとほとけ様からいただいたもの。
だから父は、祖父が亡くなった時、涙のひとつも見せなかったのだろうと思います。
今は無き、父のいのちと今ここに有る娘のいのちが輝き合い、
お念仏となって共に私のいのちに響きます。

弥也子(みやこ)という名を仏様からいただきました。
親鸞聖人の遺された「教行信証」という書物の中に、
正信念仏偈 というおつとめの文章があり、
そこからいただいた 「あるヒント」 が名前の由来です。
念仏を唱えるのと同じくらい この名前を呼ぶ生活が始まります。
このブログをご覧に読んでくださっている皆様、
お寺、幼稚園、保育園などの御縁を大事にしてくださっておられる皆様、
何かとご迷惑ばかりおかけして大変申し訳ございませんが、
家族ともども今後とも精進させていただきますので、
なにとぞよろしくお願い申し上げます。


なんだかんだ申し上げて、かわいくってメロメロであります。
by hotokenokodomo
| 2012-11-30 21:46
| わたしのこと

